この本で取り上げるべきところは、原初の知覚(primary perception)についてでしょう。
まず、原初のプロセスとは古い脳と密接に結びついた機能であり、ユングの言う集合的意識(たぶん集合的無意識のことだと思う)、すなわち地球というホログラムを包括する全ホログラム効果の意識である。原初のプロセスには過去、現在、未来の可能性と経験が含まれ、我々はそれを通して地球の生命の流れ、考える惑星、更には思考のより大きな生態系として意識する。子供と地球マトリックスとのきずなは、原初のプロセスを通して確立される。原初の知覚とはそのような地球との様々なきずなである。あらゆるきずなは知覚された様々な体験だからだ。
原初のプロセスとは、総体的な思考という意味での生命システムについての意識で、上にも書いたカール・ユングの「集合的意識」、ジェームズとハックスレーの「心全般(マインド・アット・ラーク)」、ラングリー・ポーター研究所の心理学者ダイクマンの「自覚の一般場(general field of awareness)」、古代中国人の「タオ」などの言葉で表されているものです。
地球とのコミュニケ―ション、相互理解のために自然が準備しておいたシステムの一部で、地球というマトリックスと我々を結ぶ諸々のきずなの一部で、生存を可能にするため形成されるシステムの一部がESPのような能力です。これは原初に知覚の一部です。
ESPとは超感覚的知覚のことで、直接見たり聞いたりできないところで起こっている出来事を言い当てる→透視、情報ないし伝言が遠く離れたところにいる特定の人物からやってくる→テレパシー、出来事が実際に起こる以前に知覚される→予知などのことです。
ではなぜ、この知覚がなくなるか?一つには世間的常識が原初の知覚を閉じ込めるということです。もう一つは、脳の諸機能の間で分業が始まり、選択的無視が起こる。これは、たぶん、脳はけっこう知覚的に入ってくる情報を無視している(いつも嗅いでいる臭い、自分の臭いや家の臭いなんかは、知覚しない、無視している)、混乱を避けるために原初の知覚を無視しているということだと思う。
一般的に、正常な意識と呼ばれている、個人として独自なものとして、また世界から切り離されたものとしての自己の意識では、この知覚ができない。
大人でも、原初の知覚を自覚しかかっても観念体系が圧倒されてしまうために、条件づけられた社会的自我はこの知覚を混沌へと引きずり込む脅威と感じてしまう。
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